東日本大震災から学んだこと【あれから10年】
2011年3月11日14時46分に、東北地方を中心にマグニチュード9.0という日本周辺における観測史上最大の地震が発生しました。
地震そのものだけでなく、その後に発生した凄まじい津波などにもよって、東北地方を中心に甚大な被害が生じました。
この東日本大震災で東北地方を中心に、2万2000人以上の死者(関連死含む)や行方不明者となってしまいました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
あれから10年が経ちます。
最初に被災地を訪問したのは、2011年6月でした。
あの時の衝撃は忘れられません。
その後も月に1回くらいのペースで、被災地を訪問していました。
あの頃に被災地を訪問させていただいて学んだこと、そして10年という歳月を経て感じることを振り返ってみようと思います。
リスクは常に存在する
津波や原発に関しての「想定外」という言葉について、非難の声が多く聞かれました。
もちろん、「想定外」で済まされる問題ではありません。
過去をしっかりと分析して、あらゆる最悪のケースを想定する必要があります。
最悪のケースまで想定して、その対応を事前に準備しておかなくてはなりません。
しかし、全てにおいて「想定内」にすることは本当に可能なのか、という疑問を私は感じました。
例えば現在行われている地震についての研究や分析は、始まってからせいぜい100年程度しか経っていません。
地球ができてからの時間を考えたら、ほんの一瞬です。
その一瞬を分析することで、全てのリスクを洗い出せるものなのでしょうか。
人間が考えうる最悪のケースは、本当に自然災害においてそれ以上ないものなのでしょうか。
もちろん明確な答えを出すことはできませんが、私たちが考えうる「最悪の想定」を超える「想定外の出来事」は起こる可能性は十分にあると思います。
私たちが生きる上で、リスクは常に存在します。
そしてそのリスクは、コントロールできるものもあれば、コントロールできないものもあります。
つまりリスクゼロになることは、あり得ないということです。
しかしリスクゼロを求める人は、数多くいます。医療に対してもそうですし、コロナ騒動に関しても同様です。
リスクゼロというのは、幻想に過ぎません。
東日本大震災から、私たちはリスクゼロなんてないことを学ばなくてはいけなかったのではないでしょうか。
無知は罪にもなり得る
福島第一原発がメルトダウンをするという、大変な事態になりましたね。
それを知って、私は愕然としました。
原発のことについて、ほとんど何も知らなかったのです。
原発というリスクのあるものに対しての自分の無知さと、それまでの無関心さにはじめて気が付いた瞬間でした。
原発への賛否の意見すら、言える知識がなかったのです。
そして無知で無関心にも拘らず、原発で作った電気を使って生活していたわけです。
自分は完全に加害者だと痛感しました。
知らなかったから仕方がない、なんてわけありません。
原発にはリスクもあれば、メリットもあります。
賛成派の人もいれば、反対派の人もいます。
ここで原発の賛否について書くつもりはありません。
しかし震災が起きた時点で原発を非難する資格のある人は、それまでもずっと原発に反対していた人だけではないでしょうか。
多くの人が、突然被害者面し始めましたよね。
確かに被害者であることも事実でしょうが、それと同時に加害者でもあったはずです。
このように無知・無関心で恩恵だけ受けているにも拘らず、何かあると突然被害者面して非難をはじめるわけです。
無知は罪にもなり得ます。
そのことを東日本大震災から、学ぶべきだったのではないでしょうか。
自分の目で見て、自分の頭で考える
あの頃は、連日のように震災関連の報道が流れていました。
その中で
- 日本人はこんな状況でも、お互い思いやりをもって礼儀正しく行動している
という報道が、よく見られましたね。
その他にも、千羽鶴を送るなど様々な美談が報じられていました。
テレビを見ていると、悲惨な状況ではあるものの、美しい話が溢れていましたね。
しかし被災地に実際に行って見て聞いて感じたものは、全くの別物でした。
- ・食糧庫は盗難が相次いでいるので、夜は見張りを必ずつけている。
- ・テレビで報道された避難所は、ボランティアが押し寄せて食べ物は余り過ぎて捨てている。
- ・食べ物が余っている避難所から数キロの避難所は、子どもですら十分に食べるものがない。
- ・食料などが余っている避難所から、足りていない避難所に分けたりはしない。
- ・被災地のパチンコ店は、現地の人で満員。
- ・送り付けられた千羽鶴は、置く場所や処分に困って迷惑。
などなどでした。
被災された方々の行動や、支援した方々の行動について、ここでどうこう言うつもりはありません。
テレビなどで報道されていたものも、事実であるのかもしれません。
しかし現地で見て聞いて感じたものは、報道されているものとはかけ離れていました。
私はテレビなどのメディアを鵜呑みにするのは、危険だということを震災から学びました。
自分で訪問して見て聞いて感じて調べて、そして自分の頭で考える。
それが絶対に必要不可欠です。
現在のコロナ騒ぎも、メディアに煽られて大騒ぎです。
食料や水やトイレットペーパーの買い占めが、震災の時に東京などでありました。
コロナ騒ぎでも同じことが起こっています。
思考停止の極みではないでしょうか。
東日本大震災という、甚大な犠牲を払った出来事から何も学んでいないようにしか思えません。
「忘れない」「風化させない」はなぜ?
東日本大震災を
- 「忘れてはいけない」
- 「風化させてはいけない」
とよく言われます。
なぜ忘れてはいけないのでしょうか。
なぜ風化させてはいけないのでしょうか。
ただ出来事として覚えていればいいのでしょうか。
そうではないですよね。
東日本大震災という出来事や、その犠牲などから、私たちは学ばなくてはならないのです。
学ぶことは人によって違うかもしれません。
しかし共通しているのは、学ぶことで今後に繋げていく必要があるということです。
東日本大震災から、一人一人が学んだことや社会や国として学んだことを、未来に繋いでいかなくてはならないのではないでしょうか。
ぜひ誰もが、自分の頭で考えてみてほしいと思います。