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米YouTubeは、9月28日に新型コロナウイルスワクチンをめぐる虚偽の主張を禁止する措置について、対象を拡大すると発表。
規制当局の承認を得ている全てのワクチンに関して、嘘情報を拡散するコンテンツを削除するとした。
このようなニュースが報道されました。
要するに、YouTubeは新型コロナワクチンや他のワクチンに対しても、批判的な動画は削除するということです。
実際に、これまで13万本以上の動画が削除されているとのことです。
YouTube側は、科学的根拠がない嘘情報を削除するということですが、多数の論文を基にして根拠を示している動画も大量に削除されています。
これは
- 科学の規制
に他なりません。
科学に対する規制は、科学の進歩という意味でも、絶対にしてはならないことです。そもそも、科学に対して規制をすること自体が、科学を否定していることになります。
わかりにくいと思いますので、できるだけわかりやすく、かみ砕いて説明します。
科学的根拠とは
そもそも科学的根拠とは
- 実験や調査などにより得られた、再現性のある証拠
のことを言います。
幾多もの実験や調査を繰り返し、ただ結果を出すだけでなく、その結果に再現性があることを確認しなくてはなりません。偶発的に得られる結果は、科学的根拠とは言えません。
そして、その実験や調査をまとめて形にしたものが「論文」などになります。ですから、論文が「科学的根拠を示したもの」とも言えます。
科学的根拠を示すために実験や調査をして論文を書き上げる上では、最初に「仮説」を立てます。立てた仮説に沿って実験や調査を繰り返し、その仮説が導き出せるのか、そして導き出せた場合に再現性があるのかを確認していきます。
仮説が導き出せなかったり、再現性がない場合には、仮説は間違っていたということになります。その場合は、仮説を修正して再トライです。
このような作業を延々と繰り返し、再現性まで確認できたものが、科学的根拠となります。
しかし論文に書いてあることが、必ずしも正しいとは限りません。論文の中にも、信頼性の高い論文から信頼性の低い論文まで、様々あります。
いい加減な論文も結構多いのです。論文も星の数ほどありますからね。
一般的には、その中でも特に信頼度の高い論文と評価されているようなものが、科学的根拠の中核になるようなイメージです。
科学は絶対ではない
では信頼度の高い論文などから導き出された科学的根拠は、絶対に正しいのかと言えば、そうとも言い切れません。
確かに、科学的根拠は人類の英知の結晶とも言えるものですが、人類の英知は決して万能ではありません。多くの人が、科学というものを過信しているように思います。
例えば、地震に関して「想定外なんてあり得ない!!」というようなことをメディアが言ったりしていましたが、それこそあり得ません。地震についての学問が本格的に始まって、まだ100年程度です。
それに対して、地球は46億年の歴史を持ちます。人類が理解できていることなんて、ほんのわずかでしかありませんよね。
全てを想定することなんて不可能ですし、それを本気で求めているのであれば、単なる奢りでしかないと思います。
科学の進歩は、人類の進歩そのものです。人類の英知を積み重ねてきたものです。
その結論と言うべき存在が、世の中で認められている科学的根拠なわけですから、そのような科学的根拠を私たち人類は「事実」として扱うことは自然なことだと思います。
しかしながら、科学が進歩してきたということは、その時その時の科学が絶対ではないことを逆説的に表しています。それまでの科学が否定されたり更新されることによって、進歩してきたわけですから。
ですから、今信じられているの科学的根拠は現段階の人類の英知の結晶であり、信じるに値するものですが、100%信じてはいけないのです。
感覚的には、9割方信じてはいるけれど、残りの1割は常に疑う位がちょうどいいのではないでしょうか。
反論こそが科学の進歩の土台
では、科学はどのようにして進歩してきたかと言えば、それはその時信じられていた科学に対しての「反論」が存在したからです。科学を疑うことで疑問が生じ、新たな仮説が生まれ、それが既存の科学に対する反論になります。
もちろんその反論が間違っていることもありますが、反論があるからこそ違う可能性を探り、科学は一段ステップアップできる可能性が出てきます。
議論でも同じですよね。
全員が同じ意見であれば、新しい視点は生まれません。様々な視点からの意見があるからこそ、議論は活発に行われ、新しい見地が生まれるのです。
つまり、反論こそが科学の進歩の土台であり、反論が無くなれば科学が進歩することはあり得ないのです。
科学への規制は政治的圧力
このように、科学は様々な可能性を受け入れるべきものです。ある事象に対して、違う根拠が存在することもあり得るのです。
どんなに信頼度の高い根拠であれ、人間が判断したものであることには違いありません。人間である限り、間違いやわからないことは必ず存在します。
ですから科学を一方向からのみ信じて、他の視点を否定して排除することは、もはや科学自体の否定になります。科学ですらないわけです。
有名な話としては、ガリレオの地動説です。
地動説を唱えたガリレオは、裁判にかけられ「地動説は間違いだ」という旨のことを言わされました。その時のガリレオの「それでも地球はまわっている」という言葉は、誰もが知るところですよね。
このガリレオの地動説の否定は、完全な政治的圧力です。科学であれば、異論はあるべきものですし、否定するべき存在ではありません。
もちろん、規制するべきものではないですよね。規制するのは、政治的な都合なのです。科学を、政治や社会が捻じ曲げているわけです。
ガリレオの例を見ても、歴史的に科学や言論・表現の自由を規制するのは、政治的な思惑があるときです。
今の世の中、まさにそのような状況ですよね。ワクチンに対して、一方向の意見しか認めないなんてことは、あってはならないことです。
そのような規制をしているだけでも、明らかにおかしいのが確実なわけです。
まとめ
- ・科学は人類の英知の結晶であり、信じるに値するもの
- ・しかし、科学は絶対に正しいというわけではない
- ・人類が理解できていることは、ほんのわずかしかない
- ・科学は反論があってこそ、進歩がある
- ・科学を規制するのは、政治的な都合に他ならない
ワクチンに関しても、ワクチンの有効性を示す論文も多数ありますし、ワクチンが意味ないことを示すものも多数あります。
どちらにも科学的根拠が存在するということです。
唯一無二の答えが、まだわからないわけですね。
しかし、そのようなことは当たり前なのです。
ほとんどのことに関して、絶対的に正しいことなんて基本的に存在しません。
絶対的に正しいことを規定されている時は、科学ではなく政治によって操作されているわけです。
今の世の中がどうなっているのか、よくよく考えてもらいたいと思います。