人は見えないものを恐れすぎる【理論で考えれば怖くない】

社会

人には五感が備わっています。

  • ・視覚
  • ・聴覚
  • ・嗅覚
  • ・触覚
  • ・味覚

です。

「見る」「聞く」「嗅ぐ」「触れる」「味わう」ですね。

この5つの中でも、人は特に視覚に頼っています。

五感による近くの割合は

  • ・視覚 83%
  • ・聴覚 11%
  • ・嗅覚 3.5%
  • ・触覚 1.5%
  • ・味覚 1%

と言われています。

「百聞は一見に如かず」と言いますが、100:1まではいかないにせよ、視覚の割合は8割以上で大半は視覚からの情報だということです。

このように、人は視覚に頼っているわけですが、そのせいで目に見えないものに対しての評価が適切ではなくなってしまっています。
つまり人は、目に見えないものに対して、恐れすぎたり正当な判断をできないのです。

それでは人が目に見えないものに対して恐れすぎることや、どのようにすればそこから脱却できるのかを説明していきますね。

富士山ってどんな形??

突然ですが、日本人なら誰もが知っている富士山は、どんな形をしていますか?
ちょっと頭の中にイメージしてみてください。

台形に近い形かな。

多くの人は、これに近い答えをします。

しかし、同じ質問を盲目の人にすると

  • 「頂上付近は円に近いような平面のような形で、そこから裾野にかけて 広くなだらかに広がっていくような形」

というように、立体的な形を説明しようとするそうです。
(ただし盲目と言っても、先天的なのか後天的なのか、そして後天的ならどのタイミングで盲目になったのかで答えは変わると思います。)

一般的な「台形」という答えは、3次元のものを2次元にしてしまっています。
つまり目に映る形を答えているわけです。

写真と同じですよね。

それに対して盲目の人の答えの方は、3次元のものを3次元として答えていますから、富士山の形を説明するにはより適した答えと言えるでしょう。

盲目の人は視覚情報がない分、他の情報源を用いて物事を捉えていることがわかります。

多面的に見れていない

富士山の形の例からも、目が見える人は視覚情報に頼り過ぎているため、物事を多面的に見れていないことがわかりますね。
物事の一面しか見ておらず、しかも表面的にしか見れていません。

当然ですが、物事は一面だけでは判断できません。
色々な面から見ることによって、その本質が初めて見えてきます。

例えば、「AさんがBさんを殴って怪我をさせた」とします。

ではAさんが悪いのか、と言えばそうとも限りませんよね。

  • ・Bさんが殴りかかってきたので、Aさんはやむを得ず応戦した。
  • ・Bさんが女性に乱暴をしようとしていたので、Aさんは殴って止めた。
  • ・BさんはAさんの息子で、BさんがCさんを殴って怪我させたので、殴られるということがどういうことか教えるために殴った。

などなど様々な理由があるかもしれません。

Aさんが殴ったという事実の一面のみしか見ないで、Aさんの人間性について評価することはできません。

これはとても簡素化した例ですが、物事は様々な角度から多面的に見なければ、その本質はわからないのです。

しかし残念ながら、視覚情報に頼り過ぎているせいで、ほとんどの人は物事を一面のみで判断しています。
全く多面的に見れていないのです。

いわば思考停止です。

そして対象物が目に見えないものだと、思考停止がさらに加速します。

頼みの綱である視覚情報がないわけですからね。
煽られて、無駄に恐れて騒ぎだしてしまうわけです。

ウイルスやCO₂などは典型例

目に見えないものを無駄に恐れて騒いでいる典型的な例が、新型コロナウイルスや温室効果ガスのCO₂などですね。

頼りきっている視覚情報がないわけです。
しかも普段から視覚情報に頼り切って、物事の一面しか見ていないことを、理解できていません。

そのような条件がそろえば、どうなるかは明白ですよね。

メディアの情報を鵜呑みにして、それが真実であり全てだと思い込みます。
もちろん、多くの人のそのような習性をメディアや権力は理解したうえで、情報を流しているわけです。

はっきり言ってしまえば、大衆は物事を多面的に見れないから、簡単に騙せると思われているのです。

結果は残念ながら、その通りになりますが・・・・・

目に見えないものへの恐怖は、どんどん大きくなります。

人は理解できないものに対して、恐怖を感じます。
このようにして、世の中の流れは作られ、愚民政治が横行するのです。

目に見えないものを恐れすぎないためには

では目に見えないものを恐れすぎないためには、どうすればいいでしょうか。

あくまでも「恐れない」ではなく、「恐れすぎない」です。
「恐れすぎる」のではなく、本質的に捉えることで「適切に恐れる」ということが重要です。

答えは簡単です。
物事を多面的に見て、論理的に分析して、しっかりと正しい理解をすればいいのです。

そのためには、基本的には情報は疑ってかかることが必要です。
「なぜ?」と疑問を持ち、その疑問を解決するために、論理的な思考を組み立てるのです。

論理的に整合性が取れていなければ、それは前提が間違っているわけです。
つまり「なぜ?」と疑った対象が、間違っているということです。

できるようになるまでには、時間はかかるかもしれませんが、ぜひ「なぜ?」から論理的に考えることをチャレンジしてみましょう。

逆にそれをしないでいることは、思考停止であり愚民政治に加担しているということになります。

愚民政治に加担するというのは、未来を壊すということに他なりません。
子どもたちなどの未来を壊しているのです。

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