今回のテーマは、「女性差別」「男女平等」です。
「ジェンダーギャップ指数」という男女の平等性を示す数値では、日本は先進国の中で最下位です。
つまり日本は
- ・女性差別
- ・女性軽視
- ・男性優位
という現状が非常に強くあるということです。
例えば仕事において
- ・同じ成果
- ・同じ能力
- ・同じ労働時間
- ・同じ将来性
という男性と女性がいた場合、性別で評価が変わってしまうようなことは明らかな差別です。
このようなことは、看過されてはいけない問題です。社会全体として、このような差別をなくす方向に向かう必要があります。
しかし一方で、ここ最近のフェミニズムは的外れなものも多々あるように思います。「男女平等」ということ自体が絶対的な正義といった感じです。
「男女平等」「女性差別」「女性軽視」という言葉が使われると、異論は許されないような雰囲気がありますよね。
まるで環境問題と同じです。
「男女平等」や「環境問題」そのものが正義になっていて、目的化してしまっています。
本来的な目的やそもそもの背景は、無視されてしまっているように感じます。
ちょっと異様な状況ですね。
男性と女性は全く別の生き物
当たり前なのですが、男性と女性は全く異なります。これは様々な生物で同じことが言えます。
男性(オス)と女性(メス)では、そもそも生物としての機能や役割が全く違うのです。当然身体も違いますし、脳に働きかけるホルモンなども違います。
出来ることも違えば、得意なことや不得意なことも違うのです。
ですから理不尽な差別は別として、男女が完全に平等になることなど不可能です。
まずはこのことを理解する必要があります。
男女ともに共通して差がなくできることは別ですが
- ・男性のやることは、全て女性もやるべき
- ・女性がやることは、全て男性もやるべき
というようなことを言う間違った人権を振りかざす連中は、男女の身体や脳が違う構造をしていることを理解できていないのではないかと思ってしまいます。
大切なのは子供と女性
勘違いされないように言っておくと
- 生物として大切な存在は
- 1.子ども
- 2.女性
となります。
女性の中でもより大切なのは子どもを産める年齢の女性ですが、中高年以降で比べても男性よりも女性の方が大切であることは変わりません。
これは、種の保存や繁栄という生物学的な原理からしたら当たり前のことですよね。
子どもが最も大切なのは言うまでもありませんが、子どもを産める女性の方が男性よりも圧倒的に生物として重要です。
極論で言えば、男性は数が少なくても種の繁栄と保存は可能ですが、女性はそうはいきません。
このように言うと
- 「女性は子どもを産むためだけの道具だというのか!!」
というようなゴミみたいな意見が勘違いしたフェミニストから出ますが、論外です。
確かに人間は他の動物よりも知能を持ち文化を築いていますし、種の繁栄や保存のみのために生きているわけではありません。
しかし生物である以上、種の繁栄や保存は本能に刻み込まれた最優先の目的です。
もちろん女性は子どもを産むためだけの存在ではありませんが
- 女性にしか子どもを産むことはできない
というのは変えようのない事実です。
どんなに努力しても男性には子どもは産めませんからね。
男性と女性には様々な違いはありますが、この「子どもを産めるか」という差だけで、男性よりも女性の方が大切であることが確定的になるわけです。
間違った認識をしている人が多いですが
- ・男性は外に出て仕事をしたり、戦争にいく
- ・女性は家にいて、育児や家事を行う
が以前の常識だったのは、男性が女性よりも優れているからではありません。(戦争や力仕事に関しては、体力的な差はありますが)
これは、女性や子供を守るためです。外に出て傷ついたり、最悪死ぬのは男性の役割なのです。
それに対して女性は、傷ついたり死んでしまったりしないように、家という安全な場所にいるわけです。
- 危険なことは重要度の低い男性の仕事
ということです。
問題なのは、外で仕事をするのが男性の役割だったことを、男性の能力が高いからだと勘違いしている男性が多いことですね。
男性に女性の代わりはできない
とは言え、近年は女性が社会進出して仕事をするのが当たり前になってきています。以前に比べて様々な人生の在り方が求められる時代になりましたよね。
それによって女性が仕事をするようになるのは、当然と言えば当然です。別に仕事は男性にしかできないものではありませんからね。
仕事が以前までは男性の役割だったのは、女性に安全な家にいてもらうためです。決して女性にはできず、男性にしかできないからではありません。
つまり
- 女性に男性の代わりはできる
ということです。
しかし、その逆は成り立ちません。
- 男性に女性の代わりはできない
ということです。
これは、子どもを産むということだけではありません。
育児においても同様です。男性の「育休」が流行っていますが、父親は母親の代わりにはなり得ません。
幼児に最も必要なのは、母親なのです。
このことは、育児に携わったことがある男性なら、痛感するのではないでしょうか。
要するに
- 出来ることは男性の方が少なく、女性の方が多い
というわけです。
女性の社会進出が進むと・・・
では、女性の社会進出が進むとどうなるのでしょうか。
良い面は
- ・女性に人生の選択肢が広がる
- ・これまで社会に出てこれなかった才能が開花する
- ・女性的な目線からの価値を社会に付与できる
というような様々なメリットが考えられますね。
個人にとっても社会にとっても、プラスは大きいですよね。
逆に悪い面に関しては
- ・晩婚化や少子化が進む
- ・社会に必要とされない男性が増える
ということが考えられます。
結婚自体が減り少子高齢化は進んでいくのは、想像に難くないですよね。
ただ、それだけではありません。女性が仕事をして自立できるのは良いことですが、その分男性の役割は減っていきます。
さらに、社会に出る女性が増えるほど女性の目は肥えますから、スペックの高い男性以外は女性に相手にされなくなる傾向が出てくると考えられます。
要するに
- 男性が余って、必要とされにくくなる
という社会になってしまう可能性が高いわけです。
これは実は非常に大きな問題です。
恐らく犯罪率も上がりますが、それ以上に社会のバランスが崩れかねません。
女性の方が重要だとしても、男性も必要な存在であるのは間違いありません。
そして男性は女性に比べて、社会というコミュニティーの中で果たせる役割が少ないのです。その少ない役割を女性に奪われてしまうとなると、行き場のなくした男性が急増してしまうわけです。
個人と社会
明確な答えを出すのは難しいですが、このような問題を考える場合は「個人」からの視点と「社会」からの視点で考える必要があります。
女性個人の権利ばかり主張していては、社会全体としての男性とのバランスが壊れかねません。
社会のためには、個人の権利を制限しなくてはならない場合も存在します。お金持ちがたくさん税金を払って、貧しい人へ富の再分配を行うことなどは、典型的な例ですよね。
このような視点が欠如しているにも拘らず、ひたすらに女性の権利のみを主張する間違ったフェミニズムは、害ですらあります。
そしてそれをメディアが煽り、多くの人が思考停止で右に倣えしているわけです。男女平等に異を唱えたら炎上する世の中ですからね。
男女平等など、本質的にはあり得ないのにです。
それぞれを理解し尊重し合い、自分たちの役割を果たすことは、個人としての自由と同じくらい大切なことです。
まとめ
- ・現在の男女平等は歪んでいる
- ・大切なのは男性よりも女性
- ・女性は男性の代わりはできるが、逆は成り立たない
- ・女性の社会進出が進むと、不要な男性が溢れる
- ・個人の権利だけでなく、社会のバランスを考える必要がある
結果としてどのような形態に向かうのかは、時代とともに変わるでしょうし、正解もありません。
しかし声高にフェミニズムを叫ぶ一部の連中は、ここまで説明したような前提を全く考慮せず、権利だけを主張します。
そしてそれを思考停止で受け入れてしまう人が多数なのです。思考停止ですね。
このようなことは男女平等に限った話ではありません。ありとあらゆることが、思考停止と同調圧力に支配されています。
もう少し自分の頭で考えましょう。
そしてメディアなどに騙されるのは、もういい加減に辞めましょう。