コロナ茶番で最も犠牲になったのは、間違いなく子どもたちです。
子どもたちにとって、新型コロナウイルスがほぼ無害であることは、誰もが知るところです。
(大人にとっても、感染力の強い風程度ですが。)
にも拘らず、子どもたちはマスクを強制され、様々なことを制限されています。
その制限されていることの中の一つに、「黙食」があります。
「喋らずに食べろ」というやつです。アホの極みです。
子どもにだけ黙食させるゴミ教育者
そもそも、パーテーションで人と人の間を区切って、黙って食べる黙食なんて何の意味ありません。
飲食店などでの感染率を見れば、そんなことは誰にでもわかります。
パーテーションはむしろ空気の流れを停滞させて、感染リスクを高めることもわかっています。
そんな無意味なことを子どもたちに押し付けるなんて、狂っているとしか思えません。
子どもたちは、友達などと触れあいコミュニケーションを取ることで、非認知能力を育んでいきます。
コロナ感染対策全般に言えることですが、黙食も子どもたちの発育を阻害するものでしかありません。
1000歩譲って、仮に黙食が感染対策に効果があったとしても、黙食をさせる教育者は狂っています。
既に今や、飲食店などでは大人同士が楽しそうに喋りながら飲食をしています。
(もちろん、そうするべきです。否定しているわけではありません。)
しかし未だに、パーテーションまで置いて黙食をさせている幼稚園や小学校などが多々あります。どう考えてもおかしいですよね。
大人は喋ってよくて、なぜ子どもは黙食しなくてはならないのでしょうか。やるなら逆です。
大人が我慢して黙食する代わりに、子どもたちには好きなように生活させてあげるのが当たり前です。
自分たちは犠牲を払わず、子どもたちに犠牲を押し付ける大人など、ゴミです。
そして子どもたちに黙食させている教育者は、教育者である資格が皆無です。大人としてもゴミですが、教育者としてはゴミの中のゴミです。
さっさと辞めて頂きたいですね。黙食なんてただの虐待です。
教育者の資格がない
そもそも教育者というのは、子どもたちを育てるための職業です。第一に考えるべきは、子どもの成長や発育なのは言うまでもありません。
どのような状況であれ、子どもたちのことを最優先に考えて行動するからこそ、教育者であり、「先生」と呼ばれるわけです。
確かに国の指針や親のクレームなど、様々な弊害もあるでしょう。現場の教育者だけで変えられないことが多々あるのも、間違いありません。
しかしそれでも、聖職である教育者は教育者としての矜持を持つことは必要不可欠です。
世の中の同調圧力がどうあれ、保護者が何を言ってこようと、子どもたちを最優先できないのであれば教育者の資格などありません。
そして、これは医療者も同様です。
自分の利益や保身のために、患者の健康を考えないどころか壊すような医療者は、医療者の資格はありません。
さらには、政治家も同じですね。
自分の利益や保身のため、国民の生活を豊かにするどころか苦しくする政治家は、政治家の資格などありませんよね。
政治家に対しては不満を持っている人は多いですが、自分のやっていることも省みるべきです。たいして変わらないことをやっている人が大勢います。
子どもが最優先
但し黙食などは、教育者だけの問題ではありません。親も含めた社会の大人全員が、狂っています。
コロナ茶番では、そのことが顕著になりましたよね。
コロナ茶番においては
- 大人の都合のために子どもを犠牲にする
ということが普通に行われています。そして、それに疑問すら持たない大人が多すぎます。
控えめに言って、頭がおかしいですね。
コロナであれ何であれ
- 子どもたちを最優先に考える
というのは、社会にとって当たり前のことです。
子どもを犠牲にして高齢者を優遇する社会など、存在する意味すらありません。
優先順位をつける必要があるとしたら
- 1.子どもや若者
- 2.労働世代
- 3.高齢者
となるのは当然のことです。
子どもたちのために大人が犠牲になるのは当たり前ですが、逆に大人たちのために子どもたちが犠牲になることはあってはならないことです。
子どもたちの未来を壊す大人は、はっきり言っていない方がマシです。
まとめ
- ・大人は会話して食事しているのに、子どもは黙食を強要されている
- ・子どもに黙食をさせる教育者は、教育者の資格はない
- ・どんな状況であろうと、子どもが最優先
周りの目だとか言っている場合ではありません。大人全員で子どもたちに虐待をしている現状です。
マスクにしても「着ける自由」などと言われますが、正当な理由がない場合には大人には自由などありません。
自由というのは権利です。権利というのは、義務を果たした後に得られるものです。
大人は、子どもたちや未来の世代のことを最優先に考えて行動する義務があります。いい加減覚悟を決めて、義務を全うしてほしいものです。