ALSを患う患者に依頼を受けて、薬物を投与して安楽死させたとして医師二人が逮捕されるというニュースがありました。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、神経が障害を受けることによって全身の筋肉が弱っていき、身体が動かなくなっていく病気です。
原因は解明されていない難病で、一度かかってしまうと改善することはなく、進行し続けてしまいます。
最終的には全身の筋肉が侵され呼吸する筋肉も動かなくなってしまい、多くの場合呼吸不全で死亡します。
治療法は確立されていないというのが現状です。
よってALSにかかってしまった人は、安楽死を望む人も多いそうです。
この事件について、どうこう言うつもりはありません。
というよりも、患者と医師の関係や患者や医師の考え、それ以外の様々な背景などは、私にはわかりようがありませんので、安易に批評するべきではないと思います。
メディアの報道では、よく一方的な論調になりますが、それこそ危険だと思います。
しかし「安楽死」ということについて考えることは、非常に重要だと思います。
賛否両論あると思いますが、日本では安楽死についての議論がとても少ないように感じます。 高齢化社会が進んで、医療によって延命することも可能になった現代において、安楽死について誰もが考えることは必要不可欠ではないでしょうか。
<安楽死と尊厳死>
まず安楽死と尊厳死の違いについて見ていきましょう。
安楽死 | 医師などの第三者が薬物などを使って、患者の死期を積極的に早めること |
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尊厳死 | 延命措置を断ったり中止したりして自然な死を迎えること |
安楽死は「積極的安楽死」とも呼ばれ、「患者の苦痛からの解放」を目的とします。
それに対して尊厳死は「消極的安楽死」とも呼ばれ、「人間の尊厳を保った自然な死」を目的とします。
<安楽死・尊厳死と法律>
日本では、安楽死や尊厳死はどこまでが合法でどこからが違法なのでしょうか。 とても簡単に言えば、安楽死は違法で尊厳死は合法です。
尊厳死には最初から延命措置をしないことだけでなく、途中で延命措置を中止することも含まれます。
以前は人工呼吸器を外すような行為は、医師が殺人罪に問われる行為として医療界でもタブー視されていました。
しかし人生の最期に対する価値観の変容などにより、国のガイドラインも少しずつ変わってきていて、「延命治療の中止」が公的に認められるようになりました。
しかし実際には医療現場においても戸惑いはまだまだ大きいようで、延命治療の中止を実際に行っている医療機関は少ないようです。 (※これは日本においての話で、外国では安楽死が合法のところもあります。)
<安楽死問題はなぜ議論されないのか>
日本では安楽死についての議論があまりされていないように思います。
というよりはタブーに近いようにも感じます。
安楽死に対して賛否があるのは当然だと思いますが、議論はもっとされるべきではないでしょうか。
日本で安楽死について議論されくいことの理由として、「死」に対しての考え方が関与していると思います。
「死」というのは必ず誰もが人生で一度だけ経験することです。
当たり前ですが、これは誰も避けることはできません。
避けることができないにも拘らず、多くの人は「死」から目を背けがちです。
死と向き合うことから逃げているように思います。
医療現場では、治る見込みの低い病気の例えば80歳を超えたような高齢の人に対しての延命を望む家族もいまだに少なくありません。
医師も治療を諦めてターミナルケアに移行したり、老衰だから自然に逝かせてあげようとするのは、医師として失格・負けのような風潮もあるようです。
私も死んだことはありませんから、死に直面した時にどのような感情になるのかは、まだわかりません。
しかし必ず迎える死を、どのように迎えたいかということはよく考えます。
出来れば自分が自分であるうちに、苦しまずに大切な人に見守られながら最期を迎えたいと思います。
もちろんこれは人によって違うと思いますし、正解や不正解はないと思います。
しかしながら私と同じような考えの人は少なくないのではないでしょうか。
そして自分の最期を自分で決めるためには、「死」と向き合う必要があると思います。
それは自分だけでなく、家族の「死」も含めてです。 「死」から逃れることは不可能なのです。
<安楽死との向き合い方>
安楽死を合法化するのかどうかに関しては、非常に難しい問題だと思います。
個人的には「自分で最期を選択できる権利」を得るために、合法化することにメリットはあると思います。
死は向き合わなくてはいけないものですが、恐怖でもあることが想像できます。
肉体的な苦痛だけでなく、近づいてくる死は相当な精神的苦痛にもなるのではないでしょうか。
そのような時に、自分で最期の時を選ぶ権利はあっていいと思います。
しかしその反面、安楽死を合法化したら様々な問題も出てきてしまうように思います。
人の命を軽く考えてしまったり、安楽死させること自体で利益を得ようとする人たちも出てくるでしょう。
本人の意思からの安楽死なのか殺人なのか、よくわからないケースも増えてしまうかもしれません。
そのようなことを考えると、合法化するためには相当様々な条件や国民全体の意識改革が必要であろうと思います。
そして今の日本人の価値観では安楽死は受け入れにくいと思います。
しかし価値観が徐々に変化して生きているのも事実です。
高齢化社会が進み、高齢者が増えてくるのは確実です。
認知症の人や終末期の人へ、どのように社会が対応していくのか。
これは医療や介護の業界だけの問題ではなく、社会全体の問題です。
どのような価値観で、どのように受け入れていくか。
それらを考えていく上で、「安楽死」について考えるのは「死」と向き合い受け入れる一つの方法にもなるのではないでしょうか。
人生において、「どう生きるのか」と同じくらい「どう死ぬか」ということは重要な事なのではないかと思います。
誰もが「死」について考え、社会全体で人生の最期をどのように迎えるか、そして迎えさせてあげるかを考え、その中で「安楽死」についても考えてもらいたいと思います。