信用・評判が価値基準である危うさ
社会生活をする上で、信用や評判は非常に重要なものです。
人間は一人では生きていくことはできず、集団の中で生きていく生き物ですから、周囲からの評価が重要になってくるのは当然ですね。ビジネスを展開する企業にとって、どのような信用や評判を受けるかは、まさに死活問題ですよね。
しかし近年は、企業だけでなく個人についても、SNSなどの普及によって信用や評判を獲得しやすい時代になりました。
というよりは、個人についても、信用や評判によって評価される時代になったと言えます。実際に、就職活動などでもSNSのアカウントをチェックされ、フォロワー数などが評価対象にもなってきているようです。
このようなことも含めて、これからの時代はお金よりも信用こそが、価値のある持つべき資産であるということも言われるようになってきました。
このような流れは、個人が活躍しやすく自身の努力次第では影響力を持つことができるなど、個人にとってはチャンスがあります。
そのような面では良いことなのですが、実は良いことばかりではありません。信用や評判が価値基準になっていることは、とてつもない危うさもはらんでいるのです。
その理由としては
- 信用や評判という評価を与える側が、正常に機能していない可能性があるから
です。
つまり、評価自体が正しくないかもしれない、ということです。そもそも「何をもって正しいとするか」ということは、答えのないとても難しい問題ではありますが、現代の評価基準が様々な弊害を引き起こしていることも事実です。
信用・評判の正体
そもそも信用や評判というのは、人々の評価の集合体です。言ってみれば、大衆の意見です。
規模感は場合によって違いますが、さらに大きな枠組みで言えば「世論」というものに行きつきます。
では、「世論」とはいったい何でしょうか。
世論とは
- ・世間一般の意見
- ・多くの人々が共有している意見
- ・大多数の賛同が得られている意見
ということを指します。
言ってみれば、「多数派の意見」ということですね。多数決の最終形態みたいなものです。
では次に、この「意見」というものは、どのように作られるのでしょうか。多数決で物事を判断することも、決して良いことではありませんが、最も問題なのがこの「意見」の作られ方です。
多くの人の意見は
- 感情に基づいて決まり、その感情は同調圧力によって大きく左右する
のです。
感情や同調圧力に流されず、理性的に脳の前頭前皮質を使い合理的に判断できる人もいるでしょうが、ごくごく少数でしかありません。ほとんどの人は自分の頭で考えているつもりになっているだけで、実際には感情論で他人や物事を判断しています。
そして何よりも問題なのが、その感情論は周囲の同調圧力に最も大きな影響を受けるのです。
メディアや自分の周りの人が褒め称えている人は素晴らしい人に見えてきて、逆にメディアや自分の周囲の人が非難している人は悪い人に見えてくるわけです。
実際には、自分はその人について何も知らないにも拘らずです。何も知らない上に、何も調べず何も考えず、周りの意見に流されて自分の意見を決めているわけですね。
そのようにして作られた意見が、一定方向に収束して集まったものが、「世論」というわけです。
世論が正しいわけではない
そのように作られた「世論」は、果たして正しいものなのでしょうか。
「正しい」というのを「理性的で合理的な判断」とした場合、当然世論の大半は正しくありません。
まず世論は同調圧力によって形成されるため、発信力や影響力の大きいメディアなどは、意図的に作れるものです。
また、人々の判断基準が「理論」や「理屈」ではなく「感情」なのですから、合理的なものになる要素すらありません。
一般的には、「世論」や「国民感情」というものが何よりも重要だと当たり前のように思われている節がありますが、本当にそうでしょうか。信用や評判が良い人は、価値があるというのも同様です。
これらは
- 世論や国民感情は正しい判断をする
という前提のもとに成り立つものです。
しかし、世論や国民感情は理性的で合理的な判断ではなく、感情で作られるものです。
そしてその感情は、同調圧力によって左右されます。
言ってみれば
- 世論や国民感情は、思考停止の感情論の集合体
であることが多々あるわけです。
正しい判断ができるわけがありません。コロナ騒ぎなどは、典型的な例ですね。
まとめ
- ・信用や評判が個人にも重要な時代になっている
- ・信用や評判は大衆の意見であり、大きな枠組みで言えば世論
- ・世論は感情と同調圧力によって作られる
- ・世論は正しくないことが多い
感情や同調圧力によって作られる世論は、しばしば科学的根拠や事実を無視します。科学的に事実ではないことが、社会的には事実になってしまうのです。
そして多くの人は、何も考えずにそれを受け入れてしまうわけです。まさに思考停止の無限ループです。
一般的に言われる信用や評判というものも、これと同じ仕組みですね。信用や評判が高い人は、「大衆の受けがいい」とも言い換えられます。
大衆のほとんどは、思考停止の同調圧力で意見を決めています。そのような信用や評判に、本質的に価値があるのでしょうか。
資本主義の闇が見えてきますね。
しっかり自分の頭で考えて、信念を持って行動している人は、周りからの信用やら評判やらを気にする必要はありません。
科学的根拠や事実に基づいた正しいことを主張しても、受け入れられないどころか、「アタマオカシイ」扱いされる世の中です。気にする必要はありません。
しかし、少数ではありますが、真っ当な評価をしてくれる人たちも存在することを忘れないでください。
大切なのは多くの人のウケを良くすることではなく、一人でも多くの人が、脱・思考停止や脱・同調圧力を達成できることです。
なかなか道のりは険しいですが、一歩ずつです。