「合併症」という言葉には二つの意味があります。
一つ目は
ある病気が原因となって発症する病気や症状
例えば糖尿病患者が次第に腎疾患を併発するようなものです。
二つ目は
検査や治療の後それらが元になってある確率で不可避に起こることがある病気や症状
つまり医療行為が原因で起こるもので、検査の合併症・術後合併症と言われ ます。
一つ目の合併症に関しては理解している人は多いですが、二つ目の合併症を理解しておらず医療ミスと混同する人が後を絶ちません。
医療ミスと合併症の決定的な違いは「最大限の注意を払って最善を尽くしても回避不可能である」ということです。
これはいわば現在の医療・医学の限界と考えるべきものです。
どんなに極めたプロフェッショナルでも100%成功させることは人間である限り不可能です。そして手術は部位にもよりますが非常にミクロな領域の繊細な作業ですし、100%成功すると保証できる医師はテレビの中にしかいません。
成功しないこと=ミスではないのです。
プロゴルファーでも50cmのパットを外したことのない人はいないでしょうし、どんな鉄壁の守備を誇るプロ野球選手でもエラーしない人はいません。
しかし成功しないと医療ミスだと言って訴訟を起こす患者が増えています。
術前にリスクなどの説明を受けて同意をしていても成功しないと医療ミスだと叫びだします。医療界においてこれはとても大きな問題です。
科にもよりますが、確かに医師は命を扱う職業ですので他の職種以上にミスは許されるべきではありません。
体調も含めた準備は万全にしなくてはなりません。
ここには大きな問題点があります。
世の中ブラック企業に対して撲滅しようという流れがここ最近出来てきています。しかし世の中最もブラックな労働環境の一つは確実に病院であり、医師は過酷な労働を強いられています。
逆に言えばそのような労働を医師や看護師などの医療従事者が耐えて行っていることによって現在の医療がギリギリ保たれています。
そしてそのような労働環境を作っているのは患者自身です。日本ほど少しのことですぐに病院にかかりそして安価で医療を受けられる国は類を見ません。
このような状況で医師に万全の体調で手術に臨む事を求めるのは不可能です。
24時間以上寝ることができず手術せざるを得ないなどはよくあることです。
万全の体調で医師に手術に臨んでほしければ、手術を受けられる人数を減らし順番待ちにして、かつ手術の費用を今より大幅に上げるしかありません。
たくさんの手術を休むことなく完璧にそして安価で行えというのは不可能なことなのは明白です。しかしそれを求められているのが現状です。
しかし本当の医療ミスもあることも間違いありません。労働環境が原因の一端となっているとはいえ、命にかかわることなので許されることではありません。
また医療ミスなのか合併症なのかの判断は非常に難しいのも事実です。
その結果多くの医療訴訟が起こっています。医師だけでなく最近介護分野においても訴訟が多くなっています。
家族や大切な人を失った気持ちはわかります。しかしそれを医療にばかり責任を求めるのは適切ではないと感じます。よく考えていただきたいです。
医療専門のそそのかしてくるハイエナ弁護士に耳を貸さないでほしいです。
医療訴訟がどんどん起こっていくことによって、医療や介護がどのようになっていくかしっかり考えるべきです。
- 難易度の高い成功するかわからない手術を行って成功しなければ訴えられて有罪になる。
- 要介護度の高い方を受け入れてたくさんの人を見なくてはならない中で目を離した瞬間に転倒して骨折したら訴えられて有罪になる。
このような状況で果たして医療機関はリスクの高い人を受け入れることはできるでしょうか?
当然受け入れにくくなります。自分たちの身を守るために安全と思われる患者しか受け入れなくなっていくことは自然と予想されます。
そしてリスクの高い人は行き場を失います。
医療行為自体も安全な処置しか行わず挑戦がなくなっていきます。
医療の発展は失敗を重ねてその上に挑戦を重ねたからこそ存在します。犠牲なくして進歩はありません。
完璧な人間などいません。医療は完璧ではありません。
にも拘わらず完璧を望み妄信しているのが現状です。
妄信し訴訟を起こしその結果困ることになるのは患者自身なのです。
未来も見据えてしっかり考えなくてはなりません。