「売れたものが良いもの」は本当か?
現在GAFAMと呼ばれる米国ハイテク企業の成長は、凄まじいものがあります。
GAFAMとは
- ・Apple
- ・Amazon
- ・Microsoft
の5社の頭文字をとったものです。
この5社の時価総額の合計が、日本の東証1部上場2000社以上の時価総額の合計を上回ったことも話題になりました。
「5社vs2000社以上」で5社が勝ってしまうのですから、その差は圧倒的です。
平成元年には、世界の企業時価総額ランキングでトップ10のうち7社が日本企業、トップ50の中だと32社が日本企業でした。
ちなみに世界一はNTTでした。
それが現在は、トップ50に入っている日本企業はトヨタのみです。それも40位あたりにかろうじて入っているのみです。
日本企業の力は世界的に見ると、ここ30年で圧倒的に弱まってしまったのです。
このように日本企業が世界的に見て衰退してしまった様々な原因がありますが、大元をたどれば長期のデフレであることは間違いありません。
政府の行っている「緊縮財政」が引き起こした惨劇であることは確実です。
しかし、それ以外にもよく言われることがあります。
それが、日本企業のビジネスに対する考え方です。
日本企業(日本人)は
- ・良いものを作って売る
- ・良いものを作れば売れる
という概念が根底にあるというものです。
この考え方のせいで、イノベーションが起こりにくいとも言われています。
それに対して米国などは
- ・売れたものが良いもの
- ・消費者が求めているものを作って売る
という考え方です。
そのために徹底的に力を入れているのが、「マーケティング」です。
マーケティングを簡単に言うと
- 消費者のニーズを分析して、求められているものを提供する
ということです。
日本はこのマーケティングを軽視してきたがため、米国企業などとの競争に敗れてしまった、というわけです。
確かにこれには一理あります。
日本は、「売れるものを作る」というよりも「良いものを作る」という方が強い文化ですよね。
ある意味、自己満足や独りよがりと言われても仕方のない部分もあるかもしれません。そして「売れるものが良いもの」というのは、資本主義においては確かに正義でしょう。
しかし、果たして本当に「良いものを作って売る」はダメで、「売れるものが良いもの」だけが正しいのでしょうか。
個人的には、とても危険な考え方のように思えてなりません。
「売れるもの=必要なもの」ではない
世界中のほとんどの国が、資本主義を採用しています。
資本主義を簡単に言えば
- 個人が営利目的の経済活動を好きなだけできる
というものです。
要は、「誰でも好きなだけお金儲けをしてもいい」というものです。すると競争が起こるため、技術や経済は発展していきます。
しかしその反面、お金が全ての価値基準となり、貧富の格差は拡がってしまいます。
「売れるものが良いもの」
というのは、言ってみれば資本主義社会におけるルールとも言えるものです。
売れてお金になることによって、はじめて価値が発生しますからね。
売れてお金になりさえすれば、ガラクタであっても価値のあるものになるのが資本主義です。
逆にどんなに素晴らしいものだとしても、売れなければ無価値なのです。
すると必然的に
- ・売れてはいるけれど、本来的には必要ないもの
- ・売れてはいるけれど、むしろ害なもの
というものが大量に発生します。
害になるようなものを売ること自体がおかしいと思うかもしれませんが、「売れるものが良いもの」である資本主義社会においては売れれば正義なのです。
本質的に必要なのか、有益なのか、は二の次になってしまいます。
- ・メリットがないどころか、害ですらある医療行為や薬
- ・栄養素が無いだけでなく、健康に害でしかない食品
- ・役に立たないどころか、嘘だらけのメディアなどによる情報
これらは、本来ゴミであるにかかわらず、求められているため価値が高くついているものの代表例ですね。
もちろん、売れていて本質的にも価値があるものもたくさんありますが、玉石混交になってしまうのは資本主義の特徴と言えます。
世論は思考停止と同調圧力の結晶
ではなぜ、本来ゴミのようなものが売れてしまうのかと言えば
- 消費者が本質的な価値を理解していないから
ということが大きな原因の一つになります。
消費者が求めるものを提供するのが、資本主義における正解です。
では、消費者は必要なものや本質的に価値のあるものを求めているかと言えば、そんなことはありません。
本人は自覚していないでしょうが、消費者の判断基準はあってないようなものです。
消費者が求めるものであるニーズをもう少し大きな枠組みで言えば、「世論」や「民意」となります。
この世論や民意こそが、最も重要で大切にしなくてはならない判断基準だというのが常識ですが、ここに大きな落とし穴があります。
世論や民意が何によって作られているかが問題です。
論理的な思考によって構成されているわけではありません。
科学的な根拠などによって構成されているわけでもありません。
言ってみれば、事実ベースではないわけです。
では、世論や民意を構成するものが何かといえば、「感情」や「雰囲気」です。
テレビなどのメディアや政治家などによって不安を煽られ、それが事実でなくても大騒ぎして右往左往するのが民意や世論です。
何も考えていないわけです。
そしてそれによって作られた「雰囲気」によって、社会全体に蔓延していきます。
いわゆる同調圧力ですね。
要するに、民意や世論や消費者のニーズは
- ・メディアなどによって操作される
- ・思考停止と同調圧力の結晶
というわけです。
このような物を基準とする資本主義は、かなりのリスクがあるとも言えますよね。
日本の社会主義的資本主義
このように、資本主義は歪んだ側面もあります。
- ・経済的な勝ち組が正義
- ・勝ち組になるためには、民意などに迎合することが重要
なわけですからね。
ですから、それに対して「全員が平等」という社会主義ができたわけですが、ことごとく失敗に終わりました。
現実的に社会主義はうまくいかず、資本主義が生き残ったということです。
しかし元来、日本の資本主義は欧米諸国などのそれとは一線を画します。完全な資本主義というよりは、社会主義色の強い資本主義です。
先進諸国の中で、日本ほど格差の小さい国はありませんし、公的医療保険や生活保護などのセーフティーネットも他国に比べて非常に充実しています。
崩壊した旧ソ連の人や中国の人が日本に来て、「日本こそが社会主義の目指すべきところで理想郷だ」と感じることも少なくないと言います。
つまり日本は資本主義でありながら、社会主義をうまく取り込んで機能させてきたのです。
完全な弱肉強食ではなく、施しではない純粋な助け合いや共同意識などが、日本人が培ってきた文化なのではないでしょうか。
その結果の一つが
- ・良いものを作って売る
- ・良いものを作れば売れる
というもののはずです。
マーケティングはビジネスにおいて重要なのは言うまでもありません。そして日本企業や日本人がマーケティングに関しては、遅れているのも事実でしょう。
しかし、それは単なるデメリットではなく、日本独自の大切にするべき文化や考え方によるものだと思うのです。
グローバル化こそが正義という流れは、日本独自の長所を消してしまうことにもなりかねないのではないでしょうか。
まとめ
- ・資本主義では、売れたものが良いもの
- ・日本は、「良いものを作って売る」という文化が強い
- ・消費者のニーズは、思考停止と同調圧力の結晶
- ・日本の文化は、誇るべきもの
確かに以下に良いものを作っても、認知されなければ意味ないことも多々あります。ですから、白か黒かということではなく、バランスが大事になります。
しかし、現在はグローバリズムこそが唯一無二の正義のようになってしまっていますよね。
どんどん日本の素晴らしい文化や考え方を否定しているわけです。
一旦立ち止まって考えなくてはならないのではないでしょうか。
日本人が培ってきた素晴らしい様々なものを否定するのではなく、大切にしながら新しいものとアレンジしていけばいいと思います。
「良いものを作る」ということは、決して否定されるべきことではありません。そして、それを受け入れてきた今までの日本の社会を振り返るべきだと思います。